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〜 日 々 を 織 る 〜

毒を持たない親はいない?@日本

期待

プレッシャー

 

子供にかけない親はいない

程度の差こそあれ

 

子供の資質、性格、本質、能力

何より、精神

 

そこから大きく乖離しない限りは

毒は毒にならない

 

日常的に存在するウィルスや雑菌のように

 

本人が弱れば

いつもは何でもない菌やウィルスが牙を剥く

大したことなかったはずのモノが体にとって猛毒に変容したりもする

免疫抗体のない、または以上のモノであれば

高熱を出したり、場合によっては命を脅かす

 

病気に置き換えれば誰でも「毒」の変容性が理解できるのに

対人となると、途端に言動が同等の作用を相手に及ぼす可能性など思考から吹き飛ぶ

 

他人同士でもそう

親子なら尚更、より密接性を持った距離で

 

「あなたのため」

 

は、本当に?

 

自分自身のコンプレックスの裏返しではなく?

 

年長者としてのアドヴァイスになっている?

なりたかった自分の投影ではないと断言できる?

 

子供でも、一人の個別の人格を持った人間で

親の付属物じゃないって、本当に分かっている?

 

例え親として納得できなくても、悲しい結果を生んだとしても

親が満足する道を行かせるために、やりたいことや意思を子供に我慢させ抑圧することは正しい?

 

親不孝、という言葉を親も『世間』も振りかざすけど

封建制度の名残の意識がない?

育ててやった恩を、と

 

逆に強要するのは「子不孝」なんじゃないですか?

 

とはいえ盲目的に自分は「間違っていない、正しい、少なくとも子供よりは」という根拠のない親としての妙な自尊心と自信があるから

 

「本人がどう思おうと、自分は子供のために言って(やって)いるのだ、いつか歳を経れば分かる」

 

と思っていて揺らがない

 

程よい距離を持てない日本の親子は

時代と共に、壊れていくパターン増なのでは

 

就職で地元を離れようとしたら、勝手に断りの電話を入れるような親もいるようだし

依存なのか所有なのか

 

海外でも毒親は存在するけど、根本的に違う

日本のような過剰供給による毒は少ない

 

赤ん坊を一人部屋で寝かせるのは「かわいそう」という日本人の子育ての距離感は

愛情を注いでいるのも否定しないけれど、

適度な別個の存在としての認識も甘いままになりやすいのかも?

 

 

引きこもりとか、登校拒否の子供への対応とかの記事を見ていて

 

親は真剣に向き合っているつもりでも

子供には毒にしかならない言動をしていることが本当に多いなぁと

本人に全く要因がないばかりじゃないけど

ビジネスでもクレームやトラブル対応時に、その人や会社の真価を発揮するように

そういう時こそ親の真価が問われているんだけどな…

 

かなりの所まで子供が追い詰められて

壊れたり自死しようとしたり、消えたがったりするまで己の世界と価値観から抜け出さない

本当の意味で理解しようとしない

 

自分で考えて勝手に判断した状況を元に、調べたり足を運んだりして「私はこんなに子供のために頑張っているのに」と思っている

決して向き合ってなどいないのに、向き合っている気になっている

 

子供の目線に降りて目を合わせず

子供に目を合わせろという態度になっていることに気付かない

 

ということに、子供も気づかないくらいであれば幸せなのかもしれないけどね

 

繊細さも感じ方も千差万別で

親子でもそこは全く違う人間だから

無意識に毒を刺している可能性もある

刺されていることに気づかなくて、花粉症みたいに溜まって飽和して初めて毒が発効するかもしれない

 

いつからか自分が被害者になっていて

いつのまにか加害者になっていたり

毒の連鎖を生むことも

 

 

 

まぁ誰しも日々必死で

理想通りに人間生きられないものだけど

 

心持ちだけは

いつでもリカバリできるように

忘れないでいたいものです

 

 

(だんだん訳分かんなくなってきた…昨日も寝付けたと思ったら母の謎の突撃で起こされまくって眠い…)