mizuito-tsumugi

〜 日 々 を 織 る 〜

結局は大丈夫っぽいけど…人手不足を痛感

問題のある職員(パートorアルバイト?)も確かにいたのだろうけど

どうやら一番の母にとってのストレスは同フロアの入所仲間らしい

認知症の中核症状だと思うけど、周囲や職員などの悪口からあらゆる事に文句を言い続ける人がいるらしい

おそらくは元の性格もあるんだろうが、認知症は従来なかったような攻撃性を出させることもある

 

実際、母だって家にこもっていた時は同じようなものだった

 

が、家から離れ、私とも離れて

今までのような自分のテリトリーじゃなくなって勝手が出来ないと本能でも理性でも分かって

これまでの自分の言動はなかった事になったのか

ひたすら周囲を観察して警戒している様子

 

傍から見ると、どっちもどっちだったりするんじゃないかなぁと思いつつ

母は他の入所者より若いのか、とにかく体が元気で病気ひとつなく、体力有り余っている分、不満が多いみたいだ

 

例えば散歩

前の所は、デイやショートの人達だから、結構ちょこちょこ出かけたり遠出したりできていたけれど

入所している人は車椅子など身体が不自由な方も多いし、母のようにガツガツ活動したがる人がいない

なので、前の施設でのことをよく引き合いに出してくるようになった

…あっちにいた時は「もう嫌だ帰る」「気が狂う」とか言ってたのにね

 

とはいえグループホームも、どうしても個々に合わせてとはいかず、画一的になってしまう

1人がもっと外に出たい遠出したいと言っても、1人のために1人の職員を付きっきりにさせるわけにもいかないだろう

そんな非効率な人の配置、回し方は専属の人件費でも払わない限りあり得ない

 

それは重々承知

 

けれど、認知症状の違いというのは、認知症患者同士でさえコミュニケーションできない溝がある

お互いが理解できない

成立しない

そういう人たちを一まとめにする方が、実は本人たちにとってもスタッフにとっても負担は大きいはず

スタッフは幅広い対応を求められるし、利用者同士は相互ストレスが発生して溜まる

 

小規模だから少しは融通利くかと期待したけれど、小規模だからこそ「纏めて」だった

なら大手施設ならどうか?

おそらく大病院と同じく、スタッフの数に対して見る人数が、分母に対して分子が大きすぎる現象になっているだけじゃないかと

より効率化優先の機械的運営になりがちかもしれない

 

結局のところ、医療・福祉の業界では圧倒的に見る側が足りてない

 

ただ増やせばいいというのではない、

身体の命と

心の命

どちらも診て守らなければならない重労働であり、

その能力と体力の両方が求められる市場だからだ

 

認知症 = 呆け = 何も分からない

 

という誤認はまだまだ払拭されていない

残念ながら福祉の職についていながらも「どうせ分からないよ」と本人の目の前で貶めるような事を言ったりする人間は居なくならない

認知症というのは、物事を正確に結びつけるのが困難だったり変動してしまうのであって、何も分からないんじゃない

 

少なくとも、言っている言葉そのものは理解できなかったとしても、そこに込められた感情の意味や自分へ向ける視線や態度は誰よりも敏感に感じている

特に悪意に対しては非常に素早く察知して忘れない

 

これも一つの生存本能だと思う

今までできていた事ができなくなった分、自分に対する敵意や悪意を察知して身を守ろうとする

視覚障害者が、音や気配に敏感なように

人間は何かを失えば何かで補って身を守ろうとするシステムが予め組み込まれている

 

認知症になっても、なったからこそか

自分に対する周囲の態度や言葉を細かく見ている

それが自分に対して妥当か不当か

 

だから、ほんの少しでもいい

画一化を抜けだして欲しい

 

薬を渡す時、マニュアル通りに誰にでも錠剤ならパッケージから押し出してから渡すのではなく、自分で飲める人には薬を手渡すだけにして飲むのを見守る、とか

 

明日の通院のために、今日、母を一時帰宅で連れ帰って寝る前の薬を「ホイ、飲んで」と手渡した

私としては以前通り、むしろ以前はパッケージ化してホワイトボードに貼っていたのを「飲みなよ」と声をかけていただけくらい

そうしたら母がしみじみと

「あっち(施設)でも、こうして渡してくれればいいのに…私ちゃんと自分で飲めるわ」

 

他人の手でペタペタ触られた物を飲む不快感と、自分でできるのに取り上げられていると言う理不尽さで、自尊心がいたく傷付いていたようだ

 

果たしてこれは申し入れてもいい事だろうか

自立支援型なのだから、いいよね?

 

久しぶりの自宅で、結構忘れていることもあったけど、時間と共に思い出して

さっきまで超ハイテンション

 

私が心に余裕を持って付き合えるのも、今まで何だかんだでも距離を置けたから

そして無給でも介護休暇を取って1日空けてるから

ここで半日は仕事、とかしてしまうと母の挙動が許せない過去のようになりかねない

なので、一時帰宅の時は介護休暇と有休を駆使して完全に空けて付き合う事にした

 

そう考えると介護休暇年間10日って少ない

シングルワンオペ介護の現場をガン無視した日数設定だな

まぁ、世間からは「制度があって、使えるだけいいじゃない!」と反論いただきそうではあるけれど(使ってる分、業務成果はは変わらず出して進行していても、いない日が多いという理由で評価は下がってますよー)

ただ大手企業と言われて色々な認証やマークを受けている割に、実態なんてそんなもん

対外的にはエッライ素晴らしくカッコイイ事発信しているけど、実際の実行には出世も評価も諦める必要があるからね

結局まだまだ社畜が評価されるのよ

 

介護のことも会社でオープンにしてるけど、誰も斟酌してくれないw

1ヶ月前から介護休暇取っている日に会議のインヴィテーション送ってくるような

 

みんな当事者にならないと分からないんだよね

想像力すら欠けてる

施設に入っていれば、何もすることないと思ってる

 

ふざけんな

消耗品嗜好品は家族が持っていかないといけないし

着替えも気候やローテーション考えて入れ替えるし

何かするたびに買い出しして、名前付けして

送迎のない施設に行って帰って

その時は施設の皆さんへ、という手土産も飽きないように手配して

部屋の既存備品だけじゃ寒いとか可愛そうだからアレコレ準備したり、盗られないように対策したり…

やっぱり病院でもそうだけど、よく家族が顔を出す患者と家族が全く訪れない患者とでいざって時の待遇が違うんだよ、残念ながら

色々身内を送ってきた中で、子供の頃から不変の真理として学習したね

表面では「平等です」って言うけど、感情を持つ人間だもの、んなわけないじゃん

普段からちょこちょこ顔を出してその時に高いものじゃなくセンスのいいお菓子の差し入れをしておくと、コソッと融通きかせてくれたり、多数

まず挨拶した時の笑顔が違う

 

それは今の施設も同じ

母には「自分のものは何も配らなくていい」と徹底させている

その分、一時帰宅や訪ねた折に私が持たせる

 

コツは、あまりメジャーじゃないメーカーの、だけど味は確実な物を選ぶこと

値段は実は二の次

何故ならメジャーすぎると価格がすぐ割れて、「こんなもんか」とか「見栄張ってる」とか思われるリスクが高いから

 

実際今日帰り道で母から聞いたのは、他の部屋の人が家族と帰ってきた時に、コージーかどこかソコソコしれた所のお菓子をお土産に渡したそうなんだが、陰で「やーね、見栄張っちゃって」と言い合っているのを聞いてしまったんだそうな

 

え、そのくらいで見栄?

とか思ってはいけない

入所者・患者は「帰りたくても帰れない(帰るところがない)」「家族に放置されている」と言う人も少なくない

そうした人からすれば、羨ましさや悔しさが嫌味に転じたって、まぁ仕方ない

 

前の施設から移る時に、泣いて見送ってくださった方は

「まぁ、娘さん?迎えにきてくれたの?よかったわね、いいわね…私も帰りたい…」

と涙ながらに仰っていた

 

とまぁ離れて見ていれば色々分かることなんだけど

当事者の中にいる母は、日々が大変なようで

家にいる間は頑張っておもてなし精神を発揮しようかと

「戻りたくない」と言い出さない程度に

そのために、施設の方の部屋作りを頑張ってるしね!

 

手土産は明日の病院の帰りに見繕うとして

もう私の勤務先バレてるし(母に携帯ケースの名刺から)

あの年代には滅茶苦茶ネームバリューあるし、そんな私のセレクトなら「見栄を張って」と言われることもないでしょう

…逆に変な期待を持たれていそうだけど

 

あーでも明日の午前中は寝れる…のか?

 

まぁ、晴れそうなので、よしとしよう

 

むしろ微熱が出ている己の体調が不安…