mizuito-tsumugi

〜 日 々 を 織 る 〜

警察、救急、怒涛の中ケアマネ確定

ここ1ヶ月は、まず片頭痛の悪化

血液検査でヘルペスウィルスが通常値2のところを34

バルトレックス飲み切って顔左半分の痛みと違和感が抜けMRI副鼻腔炎発覚

その時の薬を飲む切っても改善しなくて

38度程度の熱を繰り返し、やっとかかりつけの病院へ

「鼻の奥に汚い鼻水が溜まっていますね」

…他に言いようはないんですかね…なんか自分が不潔人間な気分

違和感は左だったけど結局両方溜まってるってことでCT撮影に

結果までの7日分の薬が出たけど、考えたら直近の土曜は休診日、そのまま3連休、出社、パートナーイベントと続いて通院の余裕がない!

薬は無くなって、また発熱するし体は痒いし…

台風のせいで片頭痛もキツイし

 

その間にも母が自分で110番したり、自分でトイレの鍵を外から弄って回しちゃって開かなくなったのを管理人に言いに行ったらしく、何故か救急が呼ばれて

私は自分の通院の帰り途中だったんだけど、母から携帯が鳴って出てみたら救急隊で

謝り倒して搬送を断って

帰ってみたらケロッとしてるし

 

夜中に親戚や友人知人に電話しまくって誰も出ないと騒いだり

 

約束しておきながら「結局連絡つかないから分からない」と言うけど

前日に13時にカフェって聞いてるし!既に14時だし、着歴あるし!

で慌てて起こして折り返しさせたり

 

夜間に何度もフラッと出て行ったり

急にキレて「出て行く!」と宣言して飛び出したり(実は今も)

 

私が不調すぎて、熱出て怠くて頭痛くて死にそうでも

「私の方が死にそうだ!」

と何故か張り合われてゆっくり休ませてもらえず

故に1ヶ月以上長引いても治らないまま、ヘトヘトで母の相手で、心身ゴリゴリ削られまくって

 

その合間に、何とか高齢者サポートセンターの人と再面談したり、ケア施設を紹介してもらったり

 

またすぐに動けない自分の体力気力の無さに歯噛みしつつ

自宅から紹介された施設に電話して、アポ取って

母と面談してもらって、その後個別に話して

動きはなる早で、とそのケアマネさんの方針で今日正式に契約してきた

 

もう私はグダグダだったと思うんだけど、丁寧に時間を気にせず話をちゃんと丁寧に聞いてくれて、とてもいい感じの50代後半〜60前後位の女性

とても気を使ってくださるので、彼女にお任せすることにしました。

色々同行も積極的にしてくださるとのこと

 

ケアマネ次第、とよく聞くし

酷い施設やケアマネさんの話も聞くので、サポートセンターの方に、ウチの母に合うそうな所&女性ケアマネの所をピックアップいただき、最初に名が挙がった所で決めました

行ってみたら、超近所

 

 

今まで何回も説明したけど、結局理解できなくてすぐに忘れて混同していた母だけど

一人で家にいるのが本当に嫌みたいで

さっきも何か始めようと思うと言い出したので、もう一度「介護」の言葉は使わずに行政の福祉サービスはこれまで払ってきた税金を使うから負担がいらないこと、行きたいところは選べること、先週あった人がコーディネートしてくれるし見学してから決められることなどを、改めて丁寧に説明

何故か喧嘩腰せ聞いて受け答える母

だけど、今日の段階では「分かった」と

 

それで部屋に引っ込んだかと思ったら

また支離滅裂な内容で言いがかりやら妄想やらで吹っかけられて

私も精神的に限界にきて

最近の死にたい逃げたい、人生終わってるネガティヴモード爆発してしまって

言いすぎた

 

けど、母こう言う時に言うのは理性の歯止めがない分、一部認識に妄想があれど本音なので、今まで一度も認められていなく独立出来るような一人前じゃないと、あんたごときが、というような内容を容赦なく刺してくるので、子供の頃に蓋した筈の諸々がこっちも吹き出しかけて

そのくせ何があっても手離さない矛盾で発狂寸前

 

10代から考え続けた己のレゾンデートルは、やっぱり今でも見つからない

 

母と話す度に絶望しかない

 

でも最近ではこうして夜間とかに出て行っても

もう追わないことにした

これで何かあれば、それが母の人生の結末

私が止めても逆効果だし

オーバードーズしん進行中なので下手すりゃ私が先にあの世行き

 

暴れてあらゆる身近な人(特に父と私)に恨み辛み呪いを吐き出し般若のような顔をするくらいなら、もう好きにすればいい

自業自得の人生、因果応報でいけばいい

 

そう思うようになった

 

私自身が私に対してそう考えているから

 

母は感情で物事を見て捉えて話す(喚く)、押し通すタイプ

私は文系に進んだけど元は数学の展開が好きで苦じゃなかった、そして社会学や心理学や宗教学、思想学といった理屈で考えることが好きでベース

相違がもはや同人種とは思えない程で、全く会話の展開も根拠に根拠対する客観性の取り方も違う

母は自分が見た、感じた事に対して、自分の経験と感情で一足飛びに結論に行ってギャーギャー言い、何故とか最適な解決法とかには目が向かいないし聞く耳持たない

逆に私は起きた事実と要因、対策、必要条件など理論を組立てて伝えようとするので、母とは最初の結論だけで怒られて終わる

要因も母が自分が思う原因を一方的に

それに対する反論は「反抗」と捉えられ、そこからは私の性根や人間性ディスる流れになる

 

そういう意味では完全に理数系だった父とは、親子らしくはなくビジネスライクではあったけど、淡々会話が成立してやりやすかった

上司と部下に近かった

 

そんな父と母がうまく行くわけないんだよね

そりゃ平行線で、父も何も言わなくなるよね

そして家庭に形骸化が進行して当たり前だよね

 

父は、私とバージンロードを歩くのが憧れだったらしい(意外にも!)

だけど母は「一生結婚なんかしなくていい!」と5〜6歳の頃から洗脳するように言い続けてきたし

年頃になった私がそういう系の話題を出すと

「アンタなんかにマトモな結婚ができるか!?」

「あんんたみたいなのには、真っ当な男は来ないわよ!」

と、私の見る目を全否定

騙されているんだとか、何かと難癖

付き合うこと自体を「穢らわしい」と言い続け蔑む視線を娘にし続けていた事を、果たして母は覚えているんだろうか?

何となく、覚えていない気がする

私がダメな男にしか寄ってこられないような程度の人間だから、仕方がないんだ、母親だから大事な娘を守っているんだ、と大真面目に思っていたとか言いそう

 

この母の二面性は昔から

認知症になってからは幾重にも輪をかけて

 

一人っ子でなければ、罪悪感を持たずに「自由に生きさせて!」と飛び出せたんだろうか

男であったら、また何か違ったんだろうか

20代で負けて諦めたのが、その後まで母を増長させることになったんだろうか

 

父の給料をやり繰りして貯蓄して、家を買ったのはすごいと思う

でもないそれって夫婦の手柄だと思う

なのに母の中では「私がやったこと」

共働きなら分かるけど、母だけの実績ではないと思う

そしてその家で育てられた子である私は義務を果たさなかった裏切り者らしい

 

今、固定資産も管理費も光熱費もインフラも母の振込でくる税金も全て私が払っているけど

母にとっては「何もしていない」または「乗っ取り」らしい

 

まずはデイサービスで他人の中に、家の外の環境に出ていけるよう、慣れる事から始めましょうとケアマネさんはおっしゃっていて

私もその通りだと思ってはいる

Phase1としては

 ・家から出る

 ・日中に活動する習慣をつける

 ・昼夜逆転を改善する(場合によっては薬物療法も)

 

Phase2

 ・家以外の環境に慣れてきたら、ショートステイを取り入れてみる

 ・ホテルステイと同じようになってしまうか、それともホテルや物音が木になる家より落ち着くか

 ・ひいては田舎にちょっと泊まりで墓参りに行けるようになるか

 

Phase3

 ・家よりステイ先の方が落ち着くならば、入所も視野に入れて検討

 ・体験や短期入所などで、私との距離をうまく取って行くようにする(共倒れ防止)

 

どういうスピードでどう進行するか分からない

ゴールも分からない

 

もう割り切って行くしかないし

母とやりあう度に、私の心が壊死していっている感覚がある

だから、心配という感覚が遠くなってきたのかもしれない

 

まずは正確な診断と薬の処方のために認知症専門外来受診

そのために紹介状を書いてもらわねば

 

 

0時すぎに家を飛び出して

今2:22

 

変なところをウロウロしている

 

もう知らん

 

きっと今顔を見たり消えを聞いたら

死にたくなる

食えたくなる

 

 

やっぱり生まれて来なければ良かった

 

 

追記:知人の家に押しかけていた

       一晩預かりますと留守電が

      深夜によくまぁ迎えてくれたこと…

      何やらかすか…いやでももう知らない

      勝手にしてくれ

      明日から私も実家出て自宅に帰る!