mizuito-tsumugi

〜 日 々 を 織 る 〜

母は全く手に負えないし、私は子に値しないらしい

被害妄想で騒ぎ続けるか

婚家一族(私も含む)への恨み言を吐き続けるか

聞かされる方はたまったものじゃない

 

いくらスルーしたくても声を荒げたり

ドアを蹴り付けたり

脅しのように警察に行くとか、誰々のところに言ってぶちまけるとか、人様を巻き込んでやると言って私の反応を引きずり出そうとする

引きずり出して、改めていかに私が期待外れで愚かでダメな存在か、というのを延々言い連ねるのだ

 

ただでさえ台風が列島に接近して調子が悪い時に

終日こうした環境にいると、本当に何故この世にいなければいけないのか分からなくなる

どこまでも母の「持ち物」「道具」としてしか意味がない存在

時々、私の存在を確かめて「いてくれて良かった」と言う母だが、必ずその後に続くのは「もう他に頼れる人はいないから」

あくまで自分の面倒を見てもらうために必要なだけで、無条件に家族として存在が認められている訳じゃない

 

それは今更のことで、家族だろうと無償はない、何かを求めるなら相応の対価を示せと昔から言われていたし、今もよく言う

(で、母が納得する対価が差し出せていないのに権利ばかり主張して最低な人間だ、と結論付けられている)

 

で、今の私は認められない、可愛くない、ロクでもない人間だから「何もあげない、残さない!家も売る!」になる訳だ

 

親の持つ「期待」に応えられなければ「子供」の権利はない、それなのに「やらずぶったくり」をしてきたのが私という存在だと、昔以上に今は毎日言われている

 

元々義務で結婚して義務で生み育てた子

 

認知症になると一番大事だった、人生で輝いていた頃に頭も心も引っ張られて戻ると言う

 

母にとってそれは実家にいた頃のことだけ

結婚後のことは「楽しかった」「幸せだった」話には一切出てこない

 

むしろ結婚後のことがトリガーになって恨み言や不平不満と言ったマイナスの感情の暴走・爆発が起きる

 

自分の実家や親戚のことでも、悪いことは何故か婚家の誰かのせいになっている(私含め)

 

実子であっても、それだけ憎い一族の跡取りであり半分の血を引く私も、認知症で理性が効かなくなった分許せなくなっているだろう

これまでは理性の部分で、憎い一族に似た部分を見ても耐えていたんだろうけど

 

一般的には連れ合いを亡くして認知症になるのは、淋しさからが多いようだが、うちは逆

憎い相手が、対象が目の前から祖母、祖父に続いて最後の夫までも急にいなくなったことで、いろんなやり場が無くなったせいだと思う

 

そして本当の最後に残ったのは私

認知症ならば、否定することも攻めたてることも罪悪感はない

憎しみをぶつけても相手が悪いのだから仕方がないという正当化が成り立つ

むしろ自分が長年にわたる被害者なのだ、と

 

おかしな行動を止めるために力尽くで部屋に入れれば「暴力」で「骨が折れそうだった」「殺される所だった」と大真面目にいい、弁護士に相談して相応の報いを受けさせると言い放つ

 

母が帰りたいのは祖母のいた時代の実家

 

婚家の一族は実子含めて愛せないし憎い

だから、抱きしめたり言葉で伝えることなく昔からお金で解決してそれを愛と言い張る

 

きっと、自分の言うことを聞いてくれて構ってくれる人がいたら、私じゃなくてもいいんだと思う

ただ世間体だけは昔から異常なほど気にするので、表向きは娘を思う母を変わらず演じるのだろう

最早本人にとっては演じているつもりもなく無意識に切り替わっているのかもしれない

 

そんな存在だから、友人知人より誰よりも先に、私を忘れ認識がおかしくなったんだろう

「自分の娘」は「こんなんじゃない」という不満の蓄積から「私の子じゃない」「育てたけど実子じゃない」ってね

認めたくないんでしょう

 

年月かけて親に自己否定され続けて、それが今も毎日続いて

 

母が私自身を全く見ていなかったし理解しなかったと心から思うのは

友人や同僚でさえ気付く私の本来の性質

「大雑把に見えて実は結構神経質で物事の見極めに慎重、ただしコレだと判断したら行動は早く時には直感で動く」

「人の話は参考にするが鵜呑みにはせず、自分で調べて納得しない限り実行に移さない」

だが母は未だに気付いていない

どこまでも大雑把で適当な人間だと思っていて、何かを決断する際に色々調べてヒアリングも重ねて検討した結果であっても「その場で調子良いことを言われて乗せられて利用されている馬鹿」と断じる

私は何も考えていない、考えが及ばない未熟すぎる人間と思っている

そんなんで魑魅魍魎の学生時代や、会社で上層部や他部門との折衝、お客様対応やクレーム処理などできないんですがね

 

いくつになろうと私は人に踊らされ利用される愚かな子供でしかないんだそうです

だから、親が口出すのも家から出さないのも当たり前なんだそうです

私を外に一人で出したら、どうなるか分かったもんじゃないと

 

学生の頃も、社会人になってからも、そして今でも言われ続けています

 

反論すれば「何様のつもりだ」と

会話にならず、筋道立てたプレゼンのような事実とデータに基づき論拠を提示しても「屁理屈ばかり、良いことを言っているつもりで悦に入っているんだろうけど、見苦しいわね」と聞く耳すら持ってもらえないまま

 

私と母の間に「信頼関係はそもそもない」のも、私が信頼に値する人間ではないからだ、と

 

他人と信頼関係を築く方がずっと容易で、本当に心を開けたりするけど、母とは言いなり人形になる以外方法はないと思える

 

親子って、そういうもの?

 

もう解放されたい

私で憎い一族の直系が耐えるんだから、それで満足して欲しい

 

望まない結婚、望まない出産だったんだろうけど、だったらいっそ外聞も世間体も捨てて、私を捨てて欲しい

 

思えば、母の私への諸々の言葉や態度があからさまになって、母の言う社会と現実の社会の乖離と自分自身の外での「価値」が分かるようになってから、恋愛も出来なくなっていった気がする

 

会社で残業していても、飲み会や接待でも、7時や8時になると何十回と携帯に帰れという電話が入ったり、本当に異常だった

って、過去形じゃないのが恐ろしい

 

続柄は「子」であっても、もう歳も立場も「子供」じゃない

なのにそれが何故か母には理解できない

口も出して当然だと思っている恐ろしさ

 

 

完全に家を出るか、この世から消えるかしたい

 

もう、あれだけ説いても止めても逆効果で

私もボロボロになり母も更に逆上するだけなら

もういい、止めない

何が起きても仕方がない

本人がしたいようにすれば良い

何かあれば頭を下げるし

免許はないから車で事故ることがないし自転車も処分に回していて何年も乗っていないし、そういう意味では加害者になるリスクはほぼないと言って良い

熱中症についても、体調管理についても色々言ってたらキレられたし

強制すれば暴力・虐待扱いされるし

もう、いい

 

もとより、我が家は実質では「家族」として成り立っていたことはないのだ

世間体で取繕われていただけで

「家庭」はただの「家」でしかなかった

だから、親とのコミュニケーションが一番苦手で苦痛だ

一方的なのをコミュニケーションと言えるかどうかは置いておいても、もう小学生の時には全て諦めた

中学で学校が荒れていてターゲットになって悲惨だった時少し足掻いたけど無駄だったからリスカした

切れ味悪くて思うようにいかなかったけど

 

オーバードーズしても「こんな馬鹿をする人間だとは」と言われただけで、何故そう至ったのかとか、身体の心配とかは一切なかった

 

親に認めて欲しいとか、頑張ったねという言葉とか、そういうのを求めるのは許されない

 

完全に母や家に対して荒んでいた大学時代

それでも帰っていたのは、ちょうど我が家に猫が引き取られて来たからだ

 

子供の頃から猫好きで、でも飼うのは許されなかったのに突然帰宅したら掌サイズの仔猫が

母の知人が保護したものの先住猫との兼ね合いで引き取り手を探していた所に母がいて、猫好きだから是非にと半ば強制的に連れ帰らされたらしい

 

あの子がいる間はいいかすがいになってくれていた

母と私の間にうまく入って、母には面倒を見てもらうことで自尊心を満たし、私には弟分のように接して面倒を見てきた

相手は猫だが、私は初めて「甘える」経験をした

あの子が甘えさせてくれたから、持っていたんだと思う

 

その猫も20年近く生きて天寿を全うし、そこからはまた昔以上にギスギスした家になり、私は帰宅すると部屋に閉じこもるようになった

 

帰って母の口からは父の愚痴や文句、その日あったことの中の不平不満ばかりだったから

せめて面白かったこととか明るい話題だったら、疲れていても多少は付き合う気になったけれど、こっちも会社で闘って、嫌な思いも飲み込んで帰ってきたばかり、そこへネガティヴキャンペーンでは耐えられない

二十代にして、家に帰りたくない世の旦那さんたちの気持ちを理解した(一部は本当にどうしようもない遊び人もいるが)

 

猫がいるうちは、父と猫が険悪だったのもあって心配で出て行けず(父のせいで猫の後ろ足に後遺症が残る事件が初期にあったのもあって)

猫が他界したのは東日本大地震の年の秋

その後は父が心臓に近い所に血栓が出来て入院・手術することになって離れられず

 

母はいつも「私一人でみんな看てきた」と言うけど、完全看護の入院のお世話であって本当の介護経験はない

しかも叔父や父の時は「一人じゃ無理、来て」と仕事中でも構わず電話してきて

叔父の時は毎週末やひどい時は平日に休みを取っては新幹線で駆けつけて、病院に詰めたり買い出しに走り回ったり主治医と面談したり、叔父と母の面倒を見た(結果、派遣とはいえ仕事をクビになった)

最期の時はICUに共に毎晩詰めて待合の椅子で寝て、悲しむ間もなく葬儀の手配と菩提寺への連絡に奔走…したのは私

母には取り敢えず親戚縁者への連絡だけをお願いして、裏方は当日の受付や仕出しや茶菓子手配なども含め私が仕切った(が、目を離した隙に葬儀屋にいいように乗せられてめちゃくちゃデカイ祭壇を契約していた…部屋の幅ギリギリのを)

父の時もほぼ毎日時間休を取って病院に行き、意識のない父を見舞い、医師や看護師と話し、必要なものを聞いては準備し、母の食事や心のケアに腐心し、最期を看取った後は葬儀は田舎に連れて帰ってからなので、火葬までの最低限を受けてくれる葬儀屋を探して連絡を取り打合せし、全手配を行い、同時に菩提寺に連絡して異例の遺骨を前にした通夜・葬儀・初七日をお願いし、会食の手配をし、新幹線とホテルを手配し…

 

実は仕事でも重要なリリース準備をしている期間が父の入院に重なっていて、他界した当日は最後の追込みで全体を把握して関連全システムを使えるのは私だけという状況だった

上司も親の死去でどうこう言えるわけもなく、携帯で指示は出してはいたけど、結果としては再リリースになってしまった…

 

なんていうか私の状況など母は御構いなしだし

こうした私が動いたことは全て無かったことになっている

 

世の中には介護で苦労している人が大勢いるのに、病院に通うだけだった母がドヤ顔で「私が看た!」といっても通用しない

実際、先般、介護福祉士の人もそう聞かされて「それは大変でしたね」と相槌打っていたのが、話を繰り返し聞くうちに在宅介護や介護サービスを使いながらの「介護」ではなく、入院患者の「看護補助」だと気付いて拍子抜けしていた

介護と入院患者へに見舞いでは天と地の差があるからね

でも母は分かっていない

自分がわざわざ新幹線で田舎まで行って、毎日病院に差し入れを持っていった事が「介護」で「偉業」だと思っているから

 

もう今となっては別に母に自分を認めて欲しいとは思わないけど

ただ単純に毎日毎日、人や自分を貶すことばかり聞き続けるのは苦痛でしかない

これで病まずにいられるほど図太くもない

実際、母は一生知らないだろうが神経質な方で、だから小学生の頃から片頭痛を患っているんだ

もともと1言われたら10を、と育てられて癖になっているから常に頭は稼働して先を何パターンも考えているし、寝ても夢を見て外界の音も聞いていて実質的には眠っていない(物心付いて以降ずっと)

話しかけられても返事しないのは、面倒でしたくない時か、頭は覚醒しているけど体が動かない時

 

別に自分を隠していないし嘘が下手なのに今でも気付かないというのは、それだけ私という個には関心がないからだろう

母にとって「私の子」としてOKかどうか「ふさわしいか」が第一だから、本質がどうだろうと関係ない

 

 

認知症になって、そういう側面が隠すことなくあからさまになって

今更、分かっていたことで絶望することもないけど、不愉快には変わりない

 

だからせめて放っておいて欲しいのに、自ら絡みに来て自己発電で爆発してキレて…

 

話してもキレて

黙っていてもキレて

 

本当にどうしろと

 

親子って、本当に何?