mizuito-tsumugi

〜 日 々 を 織 る 〜

介護者の精神はシーソーゲーム

上がったり下がったり

波があって

落差が激しい

 

落ちるも上がるも、相手次第

 

シーソーだけど、自分で漕げない

抗うほどキツくなる

疲れる

 

流されていると、目を回す

突然振り落とされるかもしれない

 

 

 

そりゃ、介護殺人や心中は起きるよね

なくならないよね

 

よく、追い詰められる前に、「公的機関などに相談してくれていれば」ってコメントあるけど

本当に現場・現実を知ってるの?

 

本当に受け止めてくれるような所もあるんだろうけど

日本全国でどれくらい?

 

 

追い詰められてここぞという時に電話しても出ないとか

それだけで地域包括センターなんて信用できなくなる

運営がダメダメか、良くても対応体制が全然間に合っていないところで既に当てにならない

 

1回の電話だけで?と思うかもしれないが

何回か掛け直しても一向に留守電にすら繋がらなかった経験という事実がある

営業日時も何度も確認した

 

家族介護というのは誰も限界まで抱え込みがちで

自分の親だからキッチリ自分が見ないといけないという強迫観念的なモノがあり

世間もそれが当然のような風潮がまだまだ根強く

甘えは許されない、甘えイコール親を見捨てること、のような図式が日本人に心には意識的であれ無意識的であれ発生する

 

だから、「外」に対して助けを求めるのは非常にハードルが高く

本当に弱った時、だけどまだヘルプが出せる余力がある時のみ

 

例えるならブラックな職場をギリで誰かに相談できて辞められるか

そういう余力さえ吸い取られるままそれに気付かず過労死するか

みたいな二択と似ていると思う

 

 

今の高齢化社会、税金や年金を維持することばかり言われていて

人生90歳まで生きたとして試算とかして受取拒否とか戦中みたいなバカな事を政府はしているけど

それもこれもみんな健康寿命が80、90だったらね、って話

戦中戦後の厳しい世の中を生き抜いた昭和初期世代は元気に長生きしている人も多いけど

ストレス社会を生きてきた団塊ジュニア以降は、細々生きながらえたとしても健康的ではいられない確率の方が高い

 

30代40代で既にドックでいろんなオミヤゲ貰ってくるような人が多いのに

 

下手すると、介護者の方が先に参ってあの世行き

 

被介護者を、こぞって気遣えとか否定するなとか優しくとか、ひたすらに尽くせというのがメジャーな言い分

そして取ってつけたように、程よく気分転換して気を抜きましょう、と

 

介護に程よく、とか、程々なんてない

 

認知に問題があっても寝たきりでない限り、口ではどう言っていても、かなり元気で攻撃には威力があるし理性なく容赦しない分バイタリティも半端ない

 

それを仕事で他人ならともかく

同居の実の親ともなると

さらに全力でくるから

こっちも全力で受け止めなければならないし

地雷のようにいつ爆発するか分からない

連続爆発も珍しくない

イラッとすることも多々、というかイライラすることばかり

 

 

そんな時に、上っ面のアドバイスめいた事をほざかれたって

何一つ救いにもならなければ逆に神経を逆なでされるだけ

マニュアル通りにされても意味はない

そんなことくらい、とっくに調べて実践も試みて失敗して、立て直してまたダメで、を繰り返し済

悪いが全て論破させてもらうし、出来る自負もそれなりにある

今のところ、地元の管轄の地域包括センターが信用できないので、相談してもどんなケアマネを施設を紹介されるか相当疑念を持っているので頼りたくないのが心情

それくらいなら介護付き住宅に入れたい

民間でいいから、質のいいところ

(経費は母の預金で…本人がウンと言わないだろうが…万が一家でポックリ逝かれたら、診断書書いてくれるかかりつけもないので警察の取り調べ&司法解剖コース一直線で困る)

で、そうこうしている間に、諍いやありもしない事で詰られることに精神が壊れていってるかもしれないけれど

 

私とは逆に、本当に人様に頼る事が出来なくて

それが恥だと教育されて、その意識のまま育って、最期まで誰にも相談一つ出来ず

全て自分一人の内に抱えて込んで

他所様に迷惑をかけるくらいなら、と介護心中に至る人もいるだろう

 

または、自分のパブリックイメージだけは最後まで守りたい人もいると思う

例えば、いつも明るくて笑顔でおちゃらけてて楽しい人、として社会で生きていたら、なかなか実は真面目に介護で辛いんだなんて言えないし

多分、会社とかでそうしている自分は介護している自分とは別になれて

心が楽になれるし、せめて外では、周囲には楽しいチャラけたキャラのままでありたい、最後までそんな人として記憶に残りたい

そう思っても不思議じゃない

そうやって大変な自分を切り離す方法も一つだと思う

とは言え同一の人間だから、実の心と体が摩耗すれば、逝ってしまう

周囲からすると、あの明るく頑張っていた人が何故?と

精一杯のハリボテにヒビが入った時が終わりだと、誰も、おそらく本人も気付いていないまま

 

 

だから簡単に「相談してくれれば」「死を選ぶ前に、誰かにひとことでも…」なんて無責任なコメントはして欲しくない

 

その人なりに、限界まで頑張ったんだ

被介護者が生きたかったのか、解放されてホッとしているのかだって誰にも分からない

もしかしたら、最期に2人でやっと救われたのかもしれない

終わりが見えない事が両者共に追い詰める要因の一つで、その終わりがやっと来たと

 

そんなことより、家で抱え込み、認知症で言動に問題があるから恥ずかしい、外に出せない、徘徊したら迷惑がられる、かわいそう、そういう風潮や意識に投石して欲しい

 

認知症の診断を健康診断の必須項目にするとか

認知症とはどういうものか、介護者はどうなるのか、を学生のうちから教育に含めるとか

若年性や血管性もあって、いつ誰がなってもおかしくないもので

「ボケ老人」なんてバカにしていられない自分にも迫った現実だということ

また介護者になる確率も極めて高いこと

 

日本は保育士やケアマネなど人の命を預かることには医者に次ぐだろう仕事なのに、なぜか持続的に待遇が極めて悪い

重労働でなり手がいないのに待遇も悪けりゃブラックもいいとこで

余程の志がないと無理

 

議員年金なんか無くしていいから、彼らの待遇を上げるべき

議員なんて某国々と違って仕事持ってていいんだよ?日本は

他で利益上げて?議員報酬貰って?辞めても議員年金?

それだけ見合った結果を出してる?

会社のボーナスだって査定があるんだよ?

貰うっつーなら国民に査定させなさい

議員になった時に目標シートを書いて公開、任期が来るたびに期末結果報告入力して公開

その結果に応じて国民がネットや省庁の端末から査定して集計結果を公開(そんなプログラムサッと作れるというか既存であるでしょ、中小企業レベルなんだから)

 

海外の国によっては、そういう税金の無駄や政治家の堕落を防ぐために

副業禁止、国民にあらゆる活動報告や収支を公開するのは当然で、必要経費以外は無報酬、それでもやる気のある人がどうぞ、的な

実際には潤沢な経費が提供されて、真面目に政治している分には何一つ困らないらしい

 

 

消費税が上がっても福祉に回るわけでなし

福祉を御旗に増税としたけど別に費目を限って増税分分配されるわけでなし

「ウンウン、このお金で美味しいものご馳走してあげるからねー」

って(例えば祖母から)もらった3万を家計の財布にドボンと投入、実際どれだけ食費に活かされて還元されたかなんて分からない、もしかしたらママが洋服買っているかもよ?

っていうのと同じ

現実は「予算が増えたぞ!ウチが○パー貰ってこい!」「これでXXが買えるぞ〜」と福祉とは無縁の省庁が群がって毟り合い

「コレで補填できるわ〜」という箇所に手当てされたり、が優先

破綻している年金とか?

(掛けていない世代に払っていた事自体が、そもそもの破綻要因では?戦中戦後世代にいい顔しすぎでしょ!ウチの父方の祖父母、年金制度以前の世代だから当然現役時代ロクにかけていないけど、相当額もらっていたよ?多分今の私の給与に匹敵するくらい…以上かも?人口が永遠に右肩上がりを想定とかwあり得ないのに見通し甘すぎwそんな政権に今更何を取りつくろわれても、ねぇ?野村総研だっけ?キてたよね、あれは)

 

 

あー

定年がない国会議員

年齢に関わらず認知検査必須にしてください

誰の息もかかっていない中立機関で

なんなら海外の機関で

謝れば済むもんじゃないんですよ

医者も弁護士も判事も検事も、国会議員も、みんな常識と礼節が必要な職業なんだから

一般企業みたいに、テストと面接必須にしましょうよ

入社後の外部講師による研修がない分、面談はマナー講師とかで(難しいけど中立機関で!)

日本語通じない人多すぎ

(法曹界は人の話聞かない、やたらと持って回った言い回しをする人が多い、簡単な事を変にやたら難しく言いたがる、経験上)

 

 

なんて長々と連ねている間にも

母の突撃が何度も何度も

 

その度に「もう話さない!」と去るのに10分と経たずに…

 

「家に帰る」

 → ココが家ですが

「洋服を買いに行ってきます」

 → 真夜中で何処も空いていないし、和室にたくさんある服、アレ全部あなたのです

「私のベッドには3〜4人くらいが腰掛けていて居場所がない」

 → 小型シングルのベッドに座れるかっつーの!いるなら連れてこい!

「洗濯物を干そうとすれば声をかけられる」

 → 洗濯はずーーっと私しかしていないし、さっきも取り込んでしまって、次を干したのは私、自分の部屋と実家と1日中洗濯ばっか…(実家は浴室乾燥、自分の部屋は途中までベランダのち部屋干し)

「おかしい…なんで…おかしい…」

 → 意味不明だしスルー

「だって寝られないんだもん」

 → 朝から夕方まで寝ているからでしょ、人まで巻き込むな!

 

 

こっちはいちいちその時の感情ごと記憶が積もっていくけれど

母たち当人は、一部の根強い思い込みは別として、サラリとケロッと忘れてしまうので

ある意味幸せだなぁと思う

 

自分の失敗とか、常識から外れた言動に他人から引かれても

その相手こそおかしい失礼な人間だと怒って自分の非ではなくし

さらにその事自体忘れて不愉快さごとなかったことに

忘れた自分も忘れるから、ずっと自分は正しいまま

 

最近は、正直「正常」と思える時が非常に少なく

自分で「私おかしいの、怖い」と初めて口に出した数時間後、もうダメ

あれから目が以前のようにハッと戻る時が残念ながらない

 

だからシーソーを動かしている方は、相手がどういう状態かも見えていないし

自分が動かしている自覚もない

だから

「何、勝手に動かしてるの!」

「なんで目を回してるの?」

「あら?なんで居なくなったのかしら?」

ということになる

 

相手がポーンと飛んで行ってしまっていても、きっと「おかしいな、どこに行っちゃったのか?」と普通に不思議に探しているに違いない

 

決して自分との事で…と思わないことは

双方にとって救いだろう

 

どうせ忘れるなら、もっと幸せになる忘却ならよかったのに

 

介護者のことが分からなくなったとしても

当人は幸せな夢の世界で生きているとか

穏やかに、笑顔で最期の幕が降ろせるような

 

何も理性を剥き出しに、もっとも本能的に曝け出して

周囲に当たり散らしたり、嫌がられるような言動に走らせてしまう変化じゃなく

 

いや、やっぱり完全に忘れられて他人扱いは

腹も立つし悲しいし悔しいし、いやだな

 

 

 

そう考えると

長生きするしないより

死に際は椿のようにありたい

 

ポトリ と