mizuito-tsumugi

〜 日 々 を 織 る 〜

ここ数日は悪夢のように

どれだけ忙しくとも

どれだけ体調が悪くとも

 

全くこちらの状態はお構いなし

 

家の中にたくさん人がいると怒り続けて

きょうだいや姑への過去の鬱憤が混ざりながら

私が何もしない、

いうことを聞かない、

偉そうだ、誰のおかげで学校へ行けた

掃除や洗濯、買い物も誰がしていると思っている

そん部屋の人たちの面倒を見る謂れはないんだから、いいかげんにしろ

誰が税金とか払っていると 云々

あとは、

親戚や母の友人たちの悪口を私が触れ回っているから、あの子はもうダメなんじゃないかと周囲に心配されている

だったか

 

 

 

今日は生理痛が酷くて本当に寝ていたのだけど

呼びかけても返事しなかったと

それが気に入らなくて延々と部屋のドアの前で

ヒステリックに怒り続けていたらしい

うるさくて目が覚めた

薬の効果も、もうここまで、アウト

 

教育費だの何だの子育ての親の義務をかさにきるのは

別にいまに始まったことじゃないけど

誰のおかげでって、夫婦間ですらソレってモラハラに当たる事象だから

思うような作品に育たなかったから、投資対効果に不満があるんだろうけど

もう死ぬまで言われるんだろうけど

私の存在意義って脆くて儚くて根っこがない

 

今は家に閉じこもって何もしないで

テレビつけたまま寝ていることが多いから

洗濯だって98%私がしているし

買い物だって変なものや同じ物をいくつも買ってきては最終的に(行方不明になったり、ありすぎて消化しきれずだったりで)廃棄することが多いから、

私が買ってきて管理していることが多いし

(少なくとも自分の食いぶちは自分で)

日用品も私が買ってストックしている

 

ついでに、しつこいようだが

この家には母と私以外誰もいない

 

そして税金は、夫婦の共有財産とはいえ父が働き得た給料からで

父の名義の契約や口座で賄っていたから

他界後は年金も止まり口座凍結だから、

固定資産以外全て私名義の契約と口座引き落としに変えて払っていますが

固定資産も払込票を管理して入金しているのも私ですが

 

あなたの友人なんて会ったこともなければ、

名前さえロクに知らないし、

親戚含めてみんな遠方だしね

私がどうやって、東日本から西日本までわざわざ行って

会ったこともない年配者の悪口を

さらに知らない土地で言いふらせるんだか

母にとっては馴染みの地域でも、

私には地名しか知らない、出張先以上に縁も馴染みもない土地ですよ

 

そしてさらに今

あなたは何をしても、ありがとうとも言わないし、かわいくないのよ

だそうです

 

親がしてくれることには、全てにお礼を言わないといけないらしいです

 

でも子供が親に対して行ったことは、当然の報いだからお礼を言う必要はないと

 

幼い頃から、親に喜んでほしいと

たぶん、自分自身を認めて欲しくて

いろんなことをやってきた

 

2年生の頃には

日曜の朝早く起きて、近所の花屋さんで

花を一輪だけお小遣いで買って(当月の小遣いほぼパー)

家族分のホットケーキを焼いたり

 

でも、生焼けだとか、無駄なお金を使うな有意義に使えとか

こんなことをしているくらいなら、いつもみたいに本を読むかドリルの1ページでもやればいいのに

とか、教育的ダメ出し

初回だけ「全部自分でやったの?そう」って何も言われなかったくらい

 

自分がお礼を言われたことがないからか

他人の「ありがとう」が欲しくて自分を削って尽くすタイプに育ったのかもしれない

あ、別に貢ぎ癖があるわけではないです

 

ある女優さんだったか、他の方だったか、

パーキンソン病から認知症という典型的かつ壮絶な

お父様の介護をされていたことの記事を読んだ

 

昔と違う、怒りっぽくて暴れやすく、

自分のこともわからない

そんな姿に辛くなったけど

昔の笑顔の記憶があるから、頑張れたと

 

そんな一文に

ものすごく違和感しか感じない自分がいた

 

パッと、

一緒に過ごした楽しい思い出

笑顔

というのが浮かばなかったのだ

 

最初に浮かんだのは

外での余所行きの愛想笑い

横で同じように愛想笑いをしながら心を無にしている自分

 

どこに行くにも、誰と会うにも

必ず

「いい、余計なことは何も言わないこと、聞かれても答えないこと」

とあらかじめ言い含められていた

幼稚園(3歳児保育)の頃には、既に言われていた記憶がある

 

そもそも何が余計なことなのか

何なら言ってもいいのか

聞いたことがあるけど、そうしたら最終的に

「何も言うな」

になった

名前と年齢以外言うなってことなんだろうな

と、顔や目つきを見て忖度していた

元来かなりの人見知りで、ひとりっ子の私は人と話すのが苦手だったので

心配されることはなかったと思うのだが

信用がなかったんだろうね

もしくは幼いうちからの「教育」かな

 

何を警戒していたのか、母のコンプレックスや社交術は地雷でもあるから分からない

けど外ヅラと家の中の落差のすごさを見て育った

外では今の今まで朗らかに笑って肯定していたことを(たとえば、今度一緒に●●に行こう、とか)

家に入って「さっきの、本当にいいの?」と確認すると、怒ったような表情になって

「さっきのは、あの場に合わせて、あの人達の手前そう言っただけ!ダメに決まっているでしょう!あんな所!」

と怒られ、断る言い訳を自分で懸命に考えることになるとか

 

だから、外で笑う分、両親ともに家では滅多に笑わなかったし

機嫌のいいことが少なかった

習い事が多くて、練習の監督をされる時間の方が多かった気もする

(週4日は習い事に通っていた←塾は高校受験まで行っていない、両親監修の元自力学習)

 

そして、誰も笑わない家庭だから

私も家族といて笑った記憶がほとんどない

ドリフ見て笑ったくらいしか思い浮かばない…

 

今の自分が、外ではいくらでも嫌なヤツ相手でも耐えて笑顔で相対するけど

家に帰ったら無表情・無言で一人引きこもりたい、っていうのは

もしかして母そっくりになっているんじゃないだろうか。

 

子供がいる環境でそうしている訳ではないし

もし家庭があったら、さっきみたいに

勉強・偏差値・順位至上主義だった親と違って

喜怒哀楽をもれなく出し合える環境にしたいし

褒めるべきところは褒めたいと思う

 

引っ叩かれたり、包丁向けられたり

家を追い出されたことは多々あれど

 

そういえば、抱きしめられたことはないなぁ

 

赤ン坊の時だけだったんだろうな

それもこれも、私が悪い子でかわいくないから

そうしたいと人に思わせるような人間じゃないから、だそうだけど

 

 

毎日、時間を問わず起こされ怒られ

それでも耐えられる、よすが

 

割合が少なくて

インパクトも弱くて

記憶の波からさらえない

 

そんなに子供がかわいくないなら、もっと早く捨ててくれればよかったのに

外ヅラ大王だから、できなかったんだね

 

捨てて欲しかったよ

早いうちに

 

母の言う「愛」は

自己愛の投影

 

それを映し返さない私は欠陥作品