mizuito-tsumugi

〜 日 々 を 織 る 〜

今日は早朝からボロボロ

昼夜逆転でか、深夜早朝から何度も起こされ

朝には「夕飯はどうすればいい」と言い出し

 

 

昨日から滅茶苦茶だるくて体調が悪く、出社も自分の家に向かう事さえ出来なくて

仕方なく実家で在宅勤務をしていたものの

ずーーーっと何かと騒いで、案の定仕事なんだならなかった

 

朝のトリガーは今日が原爆記念日だということ、だと思う

母方祖母の末の妹はまさに原爆ドームになっている、産業奨励会館で働いていて被爆死したと聞いている

当然ながら遺体も遺品も何一つ残っておらず吹き飛び、被爆の少し前に会って生き残ったという小遣いさんから、最期に会った場所と時間を聞けただけだという

 

他に誰が被爆したわけでもないんだけど、祖母の弟は出征先で戦死していて、階位と共に刻まれた一人だけのために建てられた立派な墓が一族の墓の隣にあって、私も何度かお参りしたことがある

 

そんなこともあって、母が幼い時から、この時期は祖母たち姉妹(6人姉妹?)がいつも集まって悼みながら子供らに話して聞かせるのが恒例だったらしい

私は母からの又聞きで、祖母も孫にまでは言うつもりはなかったようだ

祖父の妹も夫が戦死して他家に後妻に入ったり、それこそ小説やドラマみたいなことが日常であった頃、その苦労たるや現代人には耐え難いものであったと思われるが、皆最期まで笑顔だった

 

うちの祖母は医療ミスの後遺症で77歳くらいで他界したけれど、その姉や妹たちはみな100歳近くまで大往生

今残っている大叔父の奥さんとかも結構なお歳だし、うちの母が末っ子だから殆どの親戚が歳上なのだけど

誰一人、認知症になっていない

 

だから、母は自分だけが、とは受け入れ難いし未だに受け入れられない、周囲(私)がおかしい

 

モノがないのも、勝手にテレビを見に来たりする人たちが触って持って行ったりするからで、自分じゃない、テレビを付けたのも自分じゃないと言い張ってキレた

元は携帯の充電器がコンセントから跡形もなく消え去って、どこにも見当たらないことからだったんだけど

その前には、エコバッグがないと、私が隠したとキレていたし

母は(要不要は置いといて)書類などを適当に見つけたエコバッグに突っ込んで口を縛り、何処かに仕舞い込む習性が昔からある

母が探しているであろうエコバッグも、前に同様の使い方がされていたのを見て、母にも見せている

が、キレている母には通用するわけもなく

 

挙句、またお得意の「出て行く!」が繰り返し飛び出して

 

その割には部屋に閉じこもったり、普通に帰ってくる

 

更にこの家が自分の家のはずがない、減っていると言い出して、警察や弁護士を呼ぶとか、もう意味不明

 

もちろん、その合間合間に私を貶して落とすことも忘れない

自分の方が上だというマウンティング発言ももれなく

完全にコンプレックスを拗らせまくって子供にぶつけて、思い通りにならなかった苛立ちそのもの

本人にはこういうのって自覚ないし、言うと地雷で自分に跳ね返ってくるだけ、子供にとっては諦めるしかない

 

何故、20年前に無理矢理にでも家を出ておかなかったかと、心底悔やむ

けど、出ていけないように深層心理で幼いうちから刷り込まれてコントロールされていたことに、まだ気付けていなかった

自分の親が、理不尽だとは思っても毒親かもしれないなんて考えもしなかったし、当時はまだ毒親なんて言葉も生まれていなかった

大人はみんな理不尽なものなんだと、世の中はそういうものなんだと子供の頃から思っていたし、傷付くのは自分が弱いせいだという親の言い分を受け入れざるを得なかった

 

手を差し伸べて欲しいところでは突き放され、一人の力でやっていきたい場面では過干渉

他の家庭を知らないし、小説などではピンキリの家庭像が描かれていたから、多分私は恵まれている方なんだろうと、物理的な数値的な側面でのみ判断していた

だって、心の満たされ具合とか幸福感なんて主体的すぎて比較できないし、同じ環境事象でも感じ方は異なるから、きっと私という人間に情感的欠陥があるんだろうなと

満たされない私が悪いんだと

 

この歳になって、子供が幸福感を感じない家庭を作っている親側にも問題があって、歩み寄りが必要だろうとわかるけど、当時は親が絶対で、子供が合わせて当然だった

 

時代的に、親世代が色々解放されたり、やればやっただけの結果と報酬が返ってくる時勢で、自分たちの方が大事で夢中な人が多かったんだろう

だけど同世代はベビーブームで、他世代より何倍もの競争と足切りに容赦なく晒されて、個人じゃなく数字で全て見られて判断されていたから、心がいろんな意味で壊れていたと思う

イジメも今より陰湿陰険だったし、命に関わるほどハードだったし、先生どころか親さえ助けてくれないのが当たり前だった

まさに、イジメられる方も悪い理論が正論としてまかり通っていた

言葉、ハブ、暴力、時には無理矢理ヤク(シンナーとか)吸わされたり、根性焼きも珍しくなかった

それでも、そうそう警察沙汰にもならなかったし、今みたいに先生がひっぱたいたくらいで体罰報道なんてあり得なかった

だって、小学2年の担任は授業中に私語を一定回数話した子には家に帰るまで口にガムテープだったし、3年の担任は常に竹刀を持っていて、何かあればそれで叩き、土下座させていた

殴られたり蹴られるのも珍しくなかったけど、その後校長までなったのもいた

学校も家庭も、一部は違ったんだろうけど、旧日本軍か?みたいなヒエラルキーと絶対的支配がまかり通っていて、親が子の心の叫びに気づくことなんて、多分大抵の家庭で無かった

家庭のヒエラルキーを学校に持ち込んで、自分が親の立場に立っていた子もいた

要は自分の下を作ることで、自分の家庭の正当化と心のバランスを取っていたんだろう

他の子から見ると乱暴で手に負えない子なんだけど

 

そんな同世代は当然就職においても超氷河期突入で、どこまでも蹴落とし合いの狭き門を争い、学校と違って職は得られなければ社会の負け組確定だし自力で生活する糧も得られない

新卒以外取らない時代だったからリトライは存在しなかった

本来Aという会社に入れる実力があっても、運が悪ければ落ち、それでもB に入れたとする、そうするとB相応だった人が落とされてCへ…とスライドしていくので、どうやっても不正規雇用しか無理という枠が大量発生する

なにしろバブル時代とは比べ物にならないくらい、内定者を絞って減らしまくっていたから

卒業人数はバブル期より遥かに多いのに

(バブル世代はCランクの人間がBやAに入れた)

仕方なくバイトで食い繋ごうとしても、一定年齢になると若い子の方が働き手として使いやすいから切られる

バイトはキャリアにならないどころかちゃんとできないフリーターとしてマイナスにしかならないから、どんなに就活しても中途採用されない

 

今、40代以降の引きこもりが問題になっているけど、そもそもあの時代が引きこもり予備軍製造システムだった

常に新卒を取らないと、という日本企業の変な文化が、一度失敗したらドロップアウトしかないようにしている

海外は能力を売って、会社と個人が直接条件整合し雇用契約を結ぶから、新卒だろうが何だろうが関係がない

グローバルな人材というなら、日本の企業もそうすればいい

何もできない社員に給料を払い続ける無駄を省けば、一番大きい間接費が圧縮できて業績も変わるんじゃないの

 

話が逸れたけど、親っていうのは何も出来がいい人間だからなれるものではない

優秀だろうと老成しただけの愚者だろうと、性行為して実れば親にはなる

親だから、というのほど危険な言葉はないと思う

親であっても間違える、親であっても正しくないことは多くある

けれど家庭ではそれは見えない、分からない

親だからこそ、柔軟な思考と自制と自省が求められる

 

昔々は、親が間違っていたら叱ってくれる人が周囲にいた

今は個人独立型で地域で育てないから、なおのこと家庭が絶対的になりやすい

 

政府が税金目的で何を言おうと、これ以上人口は増えなくていい

ベビーブーム以降、人の心は壊れることが増えている

技術の向上や利便性が良くなる反面、いろんなモノが希薄になって

人が人でなくなっていっている気がする

国土も狭いのだから、淘汰の時期に来ているんじゃないだろうか

 

 

やっぱり、健康寿命内で死にたいし

長生きはしたくないと心底思う

心が壊れ、脳が壊れ、最期に内臓が壊れてやっと解放される人生なんて嫌だ

 

母が今私にぶつけてくる感情や言葉を聞くと

彼女が幸せだったのは独身時代まで

自分の親戚は今でも忘れないし大事だけど、婚家のことは(父や私)含めボロクソにしか言わないほど鬱屈ばかり溜まって、幸せを上回っているんだろう

 

 

散々罵って

しばらく部屋に閉じこもって

唐突に謝ってくる

 

具体的に謝られるわけじゃなく、ただひたすら「ごめん、ごめんなさい」とだけ

 

そう聞いても何も思わない私も

もう壊れているんだろう