mizuito-tsumugi

〜 日 々 を 織 る 〜

天気と同じく荒れ模様

テレビを現実と混同

テレビ側からこちらを見られているという妄想

テレビで報道されている事が自分ごとになってしまう錯乱

 

大型テレビは人も大きく映ってリアルだから悪いのかと、生前に父がベッド脇に常設していた小型テレビと差し替えた

 

映像の色彩も機器が古いからリアルじゃないし(2007年型)

小さい画面の中だと人も小さいから、部屋の続きには見えないだろうと

 

 

でも、甘かった

 

そんな事で変わるようなものじゃない

大きさや色彩なんか関係ない

存在そのものだけで、現象は起きる

 

今朝からも台風情報を見ては、ここは東日本で全く状況が違うのに

画面の中が外の様子だと思って、今 自分がどこにいるのかも混乱して

嵐が来ている

今私たちは移動中?

どこにいれば水は来ない?こっちの方が高い?

と私の部屋に来る

 

挙句、財布や携帯の入った鞄を「預かって」と言うので、それは自分で持っていてと返せば「何で私がこんな重い物を持っていなくちゃいけないの!?」と怒る

重いのは、自分が「肌身離さず持っていないと!」と詰め込んでいるからなんだけど、それを言ったところでどうしようもない

終いには「友人に預ける」とまで言い出して、何がしたいのやら…

色々押し問答して、もう知らんと思って玄関を開ける母を見ていたら、雨が降っているとすぐ戻ってきた

 

そこの段階で自分が何をしようとしていたのか忘れたらしく

「今日は食べるものは冷蔵庫にいっぱいあるよね?どこかへ行かなくちゃいけない事はない?」

と聞いてきて、何もないと答えたら

「じゃあ、今日はもう出ない」

 

挙句、「だってあなたが出て行けって言うから」と、またしても言っていないのに被害妄想にかられて訴えられた

「出て行けということは絶対にない、むしろ私が出て行く」

といつも通り返したら部屋に戻っていった

 

暫くして、私の部屋の前に来て

「ごめんね、私はあなたが居ないとどうにも不安でしょうがないの、それでまた嫌われるんだけど」

 

不安は分かるけれど、四六時中いたらいたで不安定になるし、こっちも生活があるし

大体、嫌うとかそういう問題でも次元でもない

そんな簡単な事じゃない

 

 

幻聴か、誰にも呼ばれていないのに、呼ばれたと返事してドアを開けている

そして誰もいないと訴えてきた

 

私に対しても、しょっちゅう何度も「何?呼んだ?」と聞きにくる

物音さえしていない時でも

 

だから他の音を聞き違えているのではなく

本当に幻聴なんだと思う

何もない声を聞く

 

脳がある意味過敏になっていて

自分を呼ばれたいのか、呼ばれることが逆に不安だからなのか

 

 

とにかく落ち着きがなく、ジッとしていなくて

テレビに振り回されて自身を混乱に陥らせて

 

それをいちいち言ってくるんだけど

こっちも台風が近い間は片頭痛で体調が底辺を漂っているので

優しく対応する余裕がない

逆に私が追い込まれて、体調が更に悪化する負の連鎖

 

 

こんなに早く終わって欲しい、居場所のない、全く休めない夏休みは初めて

 

けど、後年振り返って、あの頃はまだ良かった、とか思うようになるんだろうか

 

この先がどうなるのか、全くの闇

自分の人生設計さえ出来ない不安

母次第で今の生活も社会も失うことになりかねない恐怖

挙句、終わった頃には自分が被介護者になっているかもしれない

言っちゃ悪いが、母どころじゃない不安と絶望感が常に渦巻いている

 

 

 

テレビの向こうから見られていて

消そうとすると、凄い目で睨まれだから自分で消せない、消すのが怖い

と言う割に、何故すぐにテレビを付けるのか

 

切るたびに呼ばれて、起こされ、電話され

心底、家からテレビをなくしたくなる

そのくせ「テレビくらいないと、何も情報が得られない」と尤もらしい事を言う

いろんな矛盾に全く気づいていない

 

その場その場の感情で動くから

過去の自分は他人状態だから

「何で」

「私じゃない」

ばかり

 

話しの辻褄合わせか、そこから作話が始まり、被害妄想が展開して感情が爆発して

 

毎日この繰り返し

繰り返しながら色んな事を忘れたり混同したりして、全く筋の通らない支離滅裂な、だけどやたらと長い長い話を続ける

 

とにかく激昂して何かを言い出したら長い

何十分どころじゃない

何時間もずっと喋り続ける

 

人間、楽しいことの表現は少なく話も短いけど

不満や悪口などのネガティヴな事はいくらでも言い続けられる生き物なんだよねーと母を見て再確認

 

母を見て、こうはなりたくないなと子供心に思ったから、私は出来るだけネガティヴな事は口に出さないようにしてきた

口惜しくても、悲しくても、自分の中だけで親にも誰にも言わなかった

私が親にぶつけた感情は「売り言葉に買い言葉」であって、本当の本心を吐露してはいない

母に言われたから言い返しただけであって、母に言ってどうにかなるとは全く期待していないから、どうでもよかった

とにかく母のヒステリーが鬱陶しくて収まってくれればよかった

かといって、その為に悪いとも思っていないのに謝るような性格は私も持ち合わせていないので、ますます母にとって「可愛げのない」「強情な」子になっていった

 

 

人の悪口を言った人間は、自分も陰で言われている

小学生の頃からその現実を見ていたから、子供に向かって当人には祖母に当たる姑の鬱憤や、夫(父)への不満をぶつけていた母は反面教師でしかなかった

 

母はしょっちゅう「お父さんみたいになっちゃダメよ」と私に言い聞かせていた

けれど成人前後頃から、父はたまに「お前、お母さんに似てきたな」と言うようになって、私にはそれが批判にしか聞こえなかった

父が「そういうところは母親そっくりだな」と言う時は、決まって私の言動が気に入らず否定する時だったから

 

両親どちらかからも「ああなるな」と言われて育った上、一人っ子の私は誰をお手本にすれば良いのか、どうしたら両親の子供として居場所が認められるのか、それだけを考えて幼少時から学生時代まで生きてきた

 

否定されるのに、依存はされる

 

それがどうしても理解出来なくて

これって、あなた方が嫌っていた祖母(姑)と同じじゃないんですか?

都合よく嫁を使い、自分のために嫁が時間もお金も生活も犠牲にするのは当たり前だ、という風だった祖母と何が違う?

祖母も悪気なく、ただ当然だと思ってしていただけ

多分、自分も姑からそういう待遇を受けて、そういうもんだと思っていただけ

複雑な思考回路は持っていない人だったから、笑っちゃうくらいに

外孫には小遣いを目の前であげるけど、内孫の私は「どうせ将来あんたが跡取なんだから」とビタ一文もらった事ない

全て「跡取」の一言で片付けられて、従兄姉との待遇差を飲み込まされていた

そんな祖父母だったので私も懐かず、他人のような感覚しか最期まで持てなかった

祖父が昔気質の家長体質で、退職金も年金も趣味のために好きに使い、子供や孫のためには一銭たりとも払わないという人だったので、他界した後の趣味関連のものの片付けで結構なお金がかかったくらい

父もそんな実家が好きではなかったようで、滅多に帰りたがらなかったし、親子にしてはよそよそしい会話と距離感だった

我が家のルーツも複雑で、何故か短命の人が多く、男は神社だかなんだかの家系で女性は師範の多い一族、血を残すために一族内で養子のやりとりが多かったらしい

祖父も跡取のいない家に一度養子に出されたが、その後に子供が生まれて生家に戻され、その子が若くして亡くなったために結婚後にまた養子に入ることとなり

その間には日露戦争もあり、その影響で上京して行くはずだった大学に行けなくなったり、事故で生死を彷徨ったり、色々あったらしい

そこまでして存続させる程の家なのか、正直ちゃんと家系を調べていないから私には分からない

子供の頃から聞かされていたのは、昭和のある程度の時期までずっと、●●県●●市 XXX(家名)様だけで郵便は届いていたくらいには有名だったそうだ

今となっては、血を継ぐ直系は(外孫の従兄姉たちを除き)私しかいないんだけど

戦争や病気で亡くなって、結局外から養子を取って名を残したけれど血は絶えたという

それすら多分もう消えて行くと思う

 

家に振り回された祖父が、自分の世界に閉じこもるようになったのも分からないでもない

けど、父は父で、自分を顧みない父親と妹中心の母親、成績が良ければ母親は満足して自慢だという浅さ、なのにそんな父親が腹違いで勘当された兄のためには遠いところにも足を運んで借金の清算をしたりと動いていたのが、内心納得いかなかったんだろう

口下手で不器用な父は、多分子供の頃から私のように本心を閉ざして心に押し込めていた気がする

だから、見合いで結婚して子供ができても、自我がはっきりすればする程に、接し方が分からなかったのかもしれない

ある意味では根底は私は母より父に似ている

同じ家にいても放っておいて欲しい所や、一人の空間がないと息がつまる所や、本音を隠すところ

 

勘当されたという叔父の存在を知ったのは祖母の葬儀の時

その時に祖母が後妻だった事も知った

前妻は死別ではなく子供を残して出ていったのだということも

そして荒れた叔父が勘当されたことも

叔父は結婚しても生活は改まらず妻子に捨てられる離婚しており、何かの縁で京都の割烹で修行し板間をしていたこと

ワイドショーか2時間ドラマかよ?ってくらい怒涛の真実発覚だった

その叔父もとうに他界して、相変わらずの生活能力のなさだったようで、親方から埋葬した報告と嫌味の連絡が来て、葬儀代ということで父が数十万円送ったら何も言ってこなくなった

この世は金だな、としみじみ思わされた出来事だった

 

みんな何かしらの事情を抱えていて

それによって人生や性格がが歪んだりしている

その人が子供を持った時に、それらが影響を及ぼす

いわゆるアダルトチルドレンの連鎖

 

多かれ少なかれ誰にでもあることだとは思うけど

ウチもその一つだったってだけのこと

渦中の人間が今まで誰も気付かなかっただけで

まぁアダルトチルドレンという概念もたかだか20年そこそこの概念だし、毒親というのは最近だし

昔は絶対的家長の君臨もあって

 

 

全く話は変わるけど、なんで社会学がこうも廃れたのか

社会学部を出ても就職先がないという、しょーもない理由で日本の大学から次々に消えていった

本来は重要な研究なのに

私は法社会学をやりたかった

そこで犯罪と社会の関係性と犯罪心理を学びたかった

でも学べる大学がほぼなく、学科が残っているところは受験さえ許してもらえない、母にとって名がないも同然の学校だった

色々諦めて進学したけど、心理学や犯罪学はもれなく取って

本ゼミでは人気はあまりなかかったけど法社会学があったので、客員教授担当にそれを第一志望にして論文が通って入れた

やってみて思ったのは、もっと深く学びたかったな、ということ

 

今、いろんな肩書を冠した人たちが色々物申しているけれど、社会学を学んだ人は少ない

逆に学んだ人は海外の学校で学び直している

なのに、日本と海外は文化や背景が違うからそのまま考えを受け入れることはできないと、物知り顔で反発する自称専門家たち

受験と就職によって日本の大学から消えていった学部学科は少なくない

心理学部がなくなり、心理学科が僅かに残るまでに

理由は同じく就職に不利だから

やってみたいけど、親に反対されたから

画一的な就職戦線が日本から本当の最高学府を破壊していった

何が大切か、何のためか、誰にためか?

真剣に考えた人はいないだろう

世の中の価値観はこうだから、これが一番正しいのだ、誰もがこうするべきなのだ、という風潮に疑問を持たずに乗っかって

 

こういう国民性だから、大本営発表も信じるし「お国のため」で死ねたんだろうな

帝国軍もさぞかしやりやすかっただろう

万歳で使い捨てられる命

 

この8月15日に玉音放送を聞いてパラダイムが転換しただろうに

結局は多様性や自主性よりも、誰かに引っ張られて画一的に統率される事を選んで

夜中まで働くことが美徳だと言われれば、成果を出していても早く帰ろうとするような枠からはみ出るものを淘汰しようとし

ホワイトカラージョブでなければ、大学くらい出ていなければ、と、誰が決めたのか本人の適正無視で横一列化

そして特出してしまった人間は「出る杭は打たれる」

平均ばかりを狙い育成した挙句、世界に通用する人材が育たなくなって迷走を始め

 

あれから国民性が変わっていない証拠かな

自分で責任を取らない(取らなくていい)体制が大好きで抜けられない

何かがあったら掌返して、その指導者を責め立てて逃げる

今は行動せずネットで匿名で叩くのが多いだけに陰湿さは増しているかな

潔さは確実に昔よりない

 

結局、日本は進歩したようでいて、また退化していっているように見える

 

 

 

 

 

荒れた母は全く落ち着かない

自分が携帯から掛けた電話を、私がかけたと言い、母のプライバシーを言いふらしていると言い掛かりをつけ

アンタの評判は最低だと唾棄し

相変わらずドアを蹴り付け

既に最低だと言いながら、こんな事を言っているとみんなが知ったらびっくりするぞと脅してきたり

こっちも聖人じゃないので限界はあって

言い掛かりばかりうるさい、黙れ、近寄るな

くらいは言う

何時間にも渡りながら自分を貶められて平然としていられる人がいるなら是非ともお目にかかりたい

いくら相手が認知症だろうが、私の否定が今更のことであろうが、傷つけられて抉られないわけじゃない

何度も壊れてはツギハギしてきた精神が、枠から離れようと軋んでいるのが自覚できている

一歩踏み出したら、次はもう社会復帰できないところに飛ぶだろう自分が見えている

いや、もう狂っているのかもしれない

母に優しくするには気合と努力が必要だし

傷付くのが分かっている言葉を選んで言い返すし

どうしても、昔からある「自分が傷付けるのは平気なのに、自分がやり返されると物凄く被害者ぶるのが許せない」という思いが根強く染み付いていて抜けない

今だって人を勝手に犯人にして責め立てて、アンタは小さい時からお父さんのことも足蹴にするような子だったと捏造して、自分が被害者だと憐れんでいる

 

父には殴られ蹴られ、やり返そうと向かっていって返り討ちにあってはいたけど、足蹴にするって何だ

そもそも大人になるまでロクに会話もしていないし、極力近付かないようにしていた

心底、父が苦手で他人の方が近いくらいだった

母の2番目の兄が子供がいなかったので非常に可愛がってくれたこともあり、叔父の方が父親みたいだった

 

それでどうやったら足蹴にする程距離が近い親子関係が出来上がる?

 

母に中では今はもう、私や父の一族に関することは思い出せる「想い出」ではなく、その時々に合わせて作られるもの

自分の今の話に合った設定と出来事が作られて、あたかもそれが事実であったかのように

 

事情を知らない人が聞いたら信じてしまうような作り話

ただし、長く話していれば破綻しまくるので、おかしいと気付けるけど、ちょっと打ち明ける体だったらリアル

そこまで我が子を他人の前で落とせる親っていうのも、本来ならどうかと思うけど

酷い子供も確かに世の中にはいるから

自分が同情されるように場を持って行きたいのか

自己肯定や承認欲求がとても強い人だから

だから子供である私なんぞに物申されたくないし、自分の庇護化にいていうことを聞いているべし、と今だ思っている

 

親を超えろと言っていた母はもういない

いや、当時も「出来るものならやってみろ、絶対無理だけどw」という意味だったのかもしれない

 

 

あー

何で生きてるのかな、私