帰ってきたはいいけど…
人と話して気分転換になったのかと思いきや
私に対しては、出て行く前より悪化
「私はここ(家)の説明を何も受けていない」
→ コレはここが20年以上住んでいる自宅だと認識出来ていない時によく言う
「ここがあなたのものなら、家賃を取るなり好きにすれば良い」
→ 「アンタには一銭も出さない、何もしてやらない!」というのに対して「今は管理費も税金一切も光熱費も全て私が出しているし、家事も私しかしていない」に対して
「そんな嫌なら離婚すればいい」
→ 全く根拠が謎、結婚は一度もしていないと返したら「嘘ばっかり!戸籍見れば分かる!」ですと…戸籍見れば今だに抜けていないのが分かるでしょうよ
他にも、今まで出した金を返せ!とか
育てるのにかかった費用を返せという、毒親の典型的セリフ
ま、コレは今に始まったことではなく、昔から言われてたけどね
母のお眼鏡に叶う大学は落ちて(数学の勉強をしてなかったから学力不足が主だけど、受験シーズンはもれなく風邪でユンケル飲んで会場に行ったら余計に具合悪くなった思い出も)、滑り止めの大学はNGで浪人決定して、次の年も肝心な時に熱出して、流石に2年目となると滑り止めの大学に渋々入学させて、ただし仮面浪人する事を約束させられて
その大学は国際的な授業方針で良かったけど、母の言う「一流ブランド大学」じゃないので、そのまま通うのは許されなかった(確かに入試は簡単で、見直し後寝ていた程だったけども)
学校の授業を受けて、試験も受けて単位を取りながら周囲に隠して独学で受験勉強
この頃には完全に私は己を見失うというか、何のために勉強していて、何で大学に行くのかが分からなくなって心が荒れていた
親への反発心もピークだったし、可能な限り口も聞かなかったほど険悪だった(高校時代からの親友と分厚い手紙をやり取りしていたのもこの頃)
大学は大変だけど楽しかったし、いい仲間もできていた
英語の授業もネイティヴによって毎日だったから、あの頃が一番堪能だった
結局、翌年には何とか引っかかった母の妥協線上にある大学に入り直し、また1年からやり直し
この遠回りに掛かった費用を母は根に持っていて、あとは習い事でいっぱいお金をかけてやったと、それらを返せと
でも実際社会に出て、学歴なぞなんの役にも立っていない
今いる会社だって、昔からエントリー時には大学名を書かせない方式
創始者が貧しくて上の学校に行けなかったけど実力で叩き上がった人だったからなのか、理由は知らないけど、だから自分で言わない限り誰がどこの出身で4大か短大かも知らないし、特に誰も気にしない
仕事の出来と人柄で見て判断する文化が根付いている
実際の社会生活では、卒業した大学よりも最初に入った大学での1年間の経験の方が役立っているのだから笑える
英語教師は日本語の出来ないネイティヴ、留学生が多く色々な文化との交流、いろんな考えと視野を持った個性豊かな仲間たち
次の大学は歴史もあって名も知れている分、時代遅れ感が半端なかった
明後日の方向でプライドが高かったり、討論が討論として成立しないくらい自分の主張ばかりで相手を叩き潰す事しか考えていないタイプも多かった
結果、そういう大多数から外れたメンバーとちまちま仲良くしていたけど、周囲の殆どが年下なので色々合わないことも多く、卒業までつるんでいたのは、同い年の子と年下だけど大人びた子と
法社会学のゼミは指導教授(当時はまだ助教授だったかも)が個性的すぎて、頭良過ぎるとこういう変人になるのかって面白かったけど、男連中が無駄に自意識過剰で面倒くさかった
ゼミの後にその先生の授業も取っていたんだけど(偶然続きコマだった)、いつもゼミの後に小銭渡されて「烏龍茶買ってきて」とお使いさせられていた 笑
最初にキッチリ1本分しかくれなかったので「えーー自分のだけ〜?」って友達とゴネてみたら「うるせー!これでいいだろ!」と以降は3人分のお金をくれるようになったw これぞまさにゴネ得w
当然売店やら学食やら寄っているから授業には遅れるんだけど、公認
ゼミ生以外は先生をどこか怖がっていて(容赦なく単位落とすからかも)後ろから席が埋まっていくので、遅れれば当然教壇の真ん前最前列しか空いていない状況
ゼミで慣れている私たちは毎度堂々と遅れて入って最前に座っていた(そしてホイと烏龍茶を渡す)
時々意地悪な質問とかでイジられたけど、ゼミで慣れていたので困ることもなく
試験では持ち込み何でも可で、授業を受けていないと絶対書けない論文問題で、レジュメも配らない人だったから普段出ていない学生は容赦なく落とされる
問題自体が授業の内容からというのではなく、普段から授業に出ていないと「何を求められている問題なのか?」を正しく理解できず何を論じればいいか分からない、といったもので、頭の回転が早く思考応用力がある人ならば、普段サボっていても正しく理解して論じれたかもしれない(だからノート含め持ち込み自由、本質は持ち込み物でどうにかなるレベルのものではないからこその自由)
先生自ら試験監督しなくちゃいけないんだけど、持ち込み自由だし論文はカンニングのしようもないから本人は退屈していて
退屈しのぎに何をするかというと、ゼミ生の持ち込んだものが何かを見に来て突っ込む、手に取って見る、回答中の用紙を見て「へー」「ほーぅ?」とか気になる発言をする
(隣に座っていた友人は誤字防止のためにと国語辞典を持ち込んでいて、コレは開始前に私も突っ込んだけど先生も大ウケしていた)
もはや邪魔しかしていない 笑
終わった人から提出して退出可だったんだけど、他の学生のはどんどん積み上げていくのに、ゼミ生が出すと引っこ抜いて読み始める
「目の前で読むなー!」と私たちが抗議しても何処吹く風
そういえば、ゼミの選抜試験の論述問題は、シンプルに「悪法も法なりについて論ぜよ」だったなー確か
今の私だったら、あの頃より掘り下げられた論文が書けるだろうか?でもあの頃ほど思考に純粋に生きていた時もない気がするので、昔の方がしっかりした論文を書いているかも
卒論のないゼミだったから、その分夏と冬のゼミ合宿がハードだったけども(飲み含め)
変人でもあったけど本当に頭の回転が速く語彙も知識も豊富で「本当の頭のいい人」とはこういう人だなと思った
元々英語とドイツ語はマスターしていたけど、学会で馬鹿にされるのが悔しくて見返したくて、40過ぎてからフランス語をマスターした人
酔っ払うとフランス語で口説いてくるメンドクサイところもあったけど、多分私が初めて心から尊敬した「大人」
「ハッタリも実力のうち、かました裏でハッタリを本当にすればいい」という私の派遣時代からのモットーも、おそらく先生の影響か受け売り
そんな大学生活を送り、就活しようとしたら母から猛反対
どっちにしろ超氷河期で資料請求の段階で門前払い食らっていたから、私も友人達も就活したくても頭打ちだったんだけど(文学部はいいねー、というくらい学部差別もあった)
男でも厳しく、就職浪人を決めた奴もいた
何の意欲もないし準備もしていないのに、母は大学院へ行けと、受けろと強制してきた
本人は強制じゃないというけれど、扶養されていて就活を認められず願書を書かされて、どこが強制じゃないのか
何の推薦もコネもなく、教授に相談もしていないから何ら対策もしないまま、母が本来行って欲しかったのであろう大学の上にある大学院をいくつか受けることに
やる気ない、対策していない、更に受験シーズンはもれなく体調崩す(在学中は試験期間にインフルにかかっていた←最後の試験が終わった夜から42度の熱を出すという根性)
受かるはずないし、ハナから無理なのに母は絶対に認めようとしなかった
院に行くにはそれなりの準備が必要なのに、それをしていないのに、「あんたが頑張れば、どこか受かる」と高校受験のようなノリ
父は自分がかつて目指していた身で(親の意向を汲んで就職したが)実情を知っていたはずだけど、多分母と揉めるだけだから口を一切出さなかった
だから、受けることも全て落ちても何も言わなかったし最期までこの件に触れることはなかった
母にとってはそうじゃなく、その受験費も私の「努力不足」で「ドブに捨てさせられた」「裏切り行為」になっている
昔から、私は自我が強く言うことを聞かない親不孝、と言われ続けてきた
お前がダメになったのは自我が出てきてからだと
それって思い通りにならなくなったから、だよね
一個の別の人間なんだから自我があって当然なのに、自我が出たから「ダメな子」になった、自我が悪いっていうね
だから、幼少の頃から「私って何?何のためにいるの?存在意義は何?」と悩み続けることになった訳で
「何でこうなっちゃったの、私は精一杯育ててきたのに!」
と本人に十代の頃からぶつけまくって、言われた子供がどういう思いをするかなんて考えたこともないんだろうね
自分が「被害者」だから
自分の思う「良い肥料」をやり、「良い水」もタップリ与えたのに、思ったようには実を付けなかった作物
どうして?手塩にかけたのに!
って、そんな感じ
私が自立するのも許せないんだろう
仕事や生活に干渉するなと言えば
「しますよ!当たり前でしょう!いくつになっても親なんだから!子供の責任は親の責任です!」
と言い切るし
あなただって家を出て、おばあちゃんがあなたの生活に口出ししてきた?と返せば
「私はその時もう30過ぎてましたから!」
それ、私を生んだ頃でしょ
いやね、私はそんな若い時はとっくに過ぎ去っているんですよ
仲間内で最初に結婚した同級生の子供はもう成人ですよ、そんな歳だし、今は私に母の扶養義務があるんですが?逆ですよ
私の責任は私のもの、と言ったら大ギレ
「だったら全部自分でやってみれば良い!」
って話が昔とループ
何で一人で生きていけないと思い込まれているのかが不思議すぎる
「今も自分で稼いで自分で全てやって生きていますが?」
これが心底気に食わないらしい
認知症の治療よりも、カウンセリングを受けて欲しい
自分が中年のいい歳の人間相手に不必要な過干渉をしていることを自覚してほしい
そこまでは無理でも、自立した一己の人間であることを理解してほしい
いつまでも親の庇護下にある未成年じゃない、親が鑑賞すべきじゃないということを
そもそも結婚に反対だったのも、自分の本当にしたかった事の投影と同時に、家から出したくないがためだったもんね
何でこんなにベッタリになったんだろう?
母が好きな事を好きにやっていた私が学生の頃までは、むしろ要求と金銭の関係と監視だけで、あとは突き放した感じだったのに
いつの間にか蜘蛛の巣のように絡め取られていた
いざ自立の頃になったら、認めず罪悪感を煽って踏み止まらせ、出て行かせない
「転勤するくらいなら会社辞めなさい」
ともよく言っていた、あれは本気で
もし隠して転勤しようものなら、会社に乗り込みかねない状態だった
少なくとも抗議の電話くらいはしただろう、それで私の評判が落ちても良いと、むしろ好都合くらいに考えていたフシがある
結果的に今までほぼ本社から出ないまま部署異動だけしてきているけれど
私自身の人生やキャリアをガン無視している
最初は多分、母が父と2人暮らしが苦痛だからとか、私が一人でやっていけるわけないという思い込みから
いつの間にか「子供なんだから居て当然」になり
今や、母の言う事を聞かなければ「同居の意味がない!」とまで
子離れする気ゼロ
これで「子供を道具とか持ち物だなんて思っていない」と言われても、信じられるわけない
母は主婦業を「召使のように私を扱き使って」と言っていたが、世間の主婦はもっと働いていると言いたい
母は、時代からして仕方なかったんだろうけど、主婦や親に向いていなかったんだと思う
子供の目から見ても、幼稚園の頃には既に夫婦としては破綻していたし、子供を両親揃って育てなければならない、離婚はしてはいけない、その観念だけでやってきていたから、形だけに家庭だったんだろう
お金にならなくても、なっても、家の外に出られる活動は誘われれば断らない勢いで外に出ずっぱり、家にいる事を好まなかった
だから、学校から帰って鍵を持たされていない私は締め出し食らうことも多かったし、年とともに知恵はつくので、昔の古い家の引き戸だったこともあり、ピッキング的なことで開けて入ることを身につけた
お腹が空けば食材を探し、あり物を適当に調理をして食べ
なので私の料理は今でも適当、名前のない、手元にある材料で考えて自己流で作る系
親にも誰にも習わず、包丁も自分で勝手に使い慣れていったし、味付けも理論上はこうなるはず、という想像で
やがてテレビで親の不在中に料理番組を見るようになって、知識を増やしていった
だから私は基本的に母の味を継いでいない
むしろ母の味が何だったか、もう思い出せない
唯一残っているのは、牛肉の甘辛炒め
これは祖母から繋がっている味で、お弁当に必ず入れてもらっていた
それ以外は「だって紡季が作る方が美味しいし、お父さんも喜ぶよ」と見え透いた持ち上げで私に丸投げする事も多かったので覚えていない
ちなみに父は和食派で私が作る洋食、特にパスタが嫌いだった
カレーやシチューくらいまでならいいんだけどね、イタリアンやスパニッシュ系などは完全拒否だったよ
なので母が田舎に行って不在の時は、朝は早起きして味噌汁の出汁を取るところから始まり、魚を焼いて、炊きたてのご飯を出して、それから片付けて支度して学校行って、と大変だった
母がこうなるまでは、仕事を全部取っちゃいけないと思って洗濯だけ任せていたんだけど、それだけで家事全て任せていたことになっているんだよね
実家の台所とかはやっぱり母のもので私の自由にする物じゃないから遠慮もしていたし、整理整頓の仕方や手順が違うから相容れないし、なので自分の部屋以外は手を出さなかったってだけなんだけど、なぜか私は「片付けられない女」扱いだし
(借りている自分の家は全て思い通りの自分の空間だから、キッチリ片付けて掃除もして居心地の良さを追求している、遊びに来た友人が「居心地いいから帰りたくない〜」と言ってくれたのが何よりの褒め言葉)
実家の方の部屋は、母が間違えるからと色々引き上げた物を無理に持ち込んでいるから整理が追いついていないけどね…
キッチンも、冷蔵庫と食器棚を買い換えた時に私が模様替えしてキッチリ整理したのに、そのためのストックスペース作って棚を入れたりしたのに、あっという間にカオスと化した
洗面所も、何故持ち込んだのか分からないものが奥に積まれて埃の温床になっているし、トイレも勝手にカバーを外して床に投げたり、汚しっぱなしにしていたりで、リフォームからまだ1年なのに、綺麗に保てていない
私もイタチごっこの対応に疲れた
もう思い切って気に入っていたマットもカバーも捨てよう
汚れる要因を無くすのが一番
「あなたは賢い子だったはずでしょう?」
と、昔も今も何かと言ってくるけど、コレって認めているような言葉で否定しているんだよね
「あなたはもっと賢明な人間だと思っていたのに」
これもそう
最終的に
「自分一人では何もできないくせに」
という真っ向からの大否定
言っておきながら
何で私が何も出来ないと思っているのか聞くと
「そんな事言ってない!」
と、これまた否定
分かってもらうことはとうに諦めてはいるけど
干渉だけは切実にやめて欲しい
干渉を断ると「親子の縁を切るってことか」「同居している意味がない」という逆ギレを起こすので、疲れ果てた
若いうちに逃げ出せなかった私の負けなのか
私だけでもカウンセリングを受けたらいいのか
認知症になってからは、我慢しなくなった分干渉も容赦ない
休日がこれ程までに苦痛になるなんて
社畜根性皆無の私が、勤務日を待ち焦がれて連休を呪うようになるとは
明日、もし片頭痛が楽になったら、直接サポートセンターに行ってみようかな…